大谷翔平選手は、小学2年生の頃から野球を始め、父親の徹さんは中学まではコーチや監督を務めていました。
野球をするようになってからは、父親が始めさせた「野球ノート」を書き始めるようになります。
そして「野球ノート」は親子で交換日記のようなやり取りをしていました。
その中で父親の徹さんは、野球をするうえで大切にしてほしい「3つの約束」について、事あるごとに伝えてきました。
今回はこの「野球ノート」の内容や、父親との「3つの約束」の中身について紹介します。
【画像】大谷翔平の野球ノートの内容!
野球をやるようになってから、父親が始めさせた「野球ノート」。
野球ノートは毎日ではなく、試合での良かったことや悪かったことなどをノートに書かせていたそうで、父親には次のような狙いがありました。
大切なのは、悪かったときに次に何をすれば課題を克服できるのかを考えて行動に移すことだと思っていました。
エラーや三振はある。その反省から自分がどういう取り組みをしていくのか。
それらを字で書き残すことによって、しっかりとやるべきことを頭に入れてほしかった。
つまりは、練習における意識付けですね。野球ノートを始めたいちばんのきっかけは、そこにありました
引用:https://toyokeizai.net/
大谷翔平選手は試合での反省や今後の課題を書き、父親がその日の評価やアドバイスを書いて返すといった、親子での交換日記のようにやり取りをしていました。
小学校のうちから、こういった事を繰り返す事で、自然と課題克服に向けてどんなことをすればいいのか?といった課題解決能力が自然と身につき、今の大谷翔平選手に繋がっているのだと感じます。
大谷翔平の父親との3つの約束の中身は?
野球ノートで父親が事あるごとに伝えてきた「3つの約束」について紹介します。
一生けんめい元気に声を出す
ただ単に声を出すことではありません。
仲間との連係プレイなどの確認をするために、アウトカウントやストライクカウントなどを大きな声で確認しあうことが大切です。
選手同士で声を掛け合い、元気よく声を出してプレイすることで、コミュニケーションを大事にしてほしいという思いが込められていました。
団体競技のスポーツはチームとしての連携やフォローがとても大切で、そのために声を出すことは非常に重要で、コミュニケーションの第一歩。
一番の基本です。
一生けんめいキャッチボールをする
肩を慣らすだけのキャッチボールではなく、自分が狙ったところにきちんと投げることを意識させます。
指にかかった縦回転のスピンが効いたボールを投げるために、キャッチボールの段階から意識を高く持って投げることを求めました。
たかがキャッチボールではなく、一球一球意識して、目的を持って投げる。
こういったことを小学生の時から実践することで、大人になった時に大きな差となるのではと思います。
一生けんめい走る
野球は走るスポーツであるため、最後まで全力で走ることを指導しました。
一生懸命最後まで全力で走ること、簡単そうで誰もができている訳ではありません。
大谷翔平選手はメジャーリーガーになっても全力疾走していますね。
この一生懸命の積み重ねが、強靭な足腰や下半身をつくり、投手としてバッターとして成功し、今に繋がっていると思います。
以上が、大谷翔平選手が父親とした「3つの約束」となります。
父親の徹さんは、
「野球をやっている以上は、この3つのことを大事にしながら進んでほしい。そういう思いを込めて書き続けていました」
引用:https://toyokeizai.net/
決して難しい内容ではありませんが、簡単なことだからこそ実は継続することが難しいと思います。
この「3つの約束」の思いは、メジャーリーガーとなった今でも、胸に刻み実践しています。
大谷翔平選手は、父の教えについて次のように語っています。
「父親の教えは基本的なものですが、今でも覚えています。
それは、いつ、どのステージに行っても、言われ続けることだと思います。
特に全力疾走は、そのこと自体に意味がありますけど、その取り組む姿勢にも大きな意味合いがあると思っています」
引用:https://www.nippon.com/
まとめ
今回は大谷翔平選手が「野球ノート」を始めた狙いや、父親と約束した「3つの約束」の中身について紹介しました。
メジャーリーガーになった今でも、胸に刻み実践している大谷翔平選手。
こういった小さなことの積み重ね、そして何事も意識しながらすることで、世界を代表する選手まで登り詰めました。
今後さらなる活躍と飛躍に期待したいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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